下の写真は、2007年公開のフランス制作の伝記映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』からの引用です。この作品で、主演のマリオン・コティヤールが第80回アカデミー主演女優賞を獲得しました。ピアフの生涯が描かれ、数々のピアフの名曲も使用されているので、ファンにとっては嬉しい映画です。では、ピアフの歌声や波乱万丈の人生を紹介します。
フランスのシャンソン歌手エディットピアフの歌声や曲は、CMなどで聴いたことのある人も多いでしょう。近年では、美輪明宏さんの『愛の讃歌』や、大竹しのぶさんの舞台『ピアフ』も話題になりました。『バラ色の人生』『水に流して』『群衆」』『アコーディオン弾き』『パダムパダム』などもヒットしました。ピアフは、倍音を多く含む独特の声質を持ち、身体全体を使うような力強い地声の歌い方が特徴です。加えて、ピアフのRの発音は『口蓋垂震え音』という巻き舌のような特殊な発音で、歌を個性的にしています。声量があるので大柄な人なのかな、と思っていた私は、ピアフの身長が145㎝で40㎏と知って驚きました。それもそのはずで、芸名「ピアフ」は呼び名でもあり「小さなすずめ」という意味だそうです。少女時代から父と一緒に街頭に立ち、歌うことで日銭を稼ぐ生活は、歌い方に大きな影響を与えたはずです。石畳の街角に立ち、道行く人達の足を止めるために、必死に大きな声で歌うピアフの少女時代が想像出来ます。足を止めさせたあとにも、どういう風に歌えば人が聴いてくれるか、肌で感じながら実践していたことでしょう。現に、彼女はインタビューで「私の音楽学校は街角なの」と答えています。
ピアフの声や歌い方に憧れている私ですが、もし、悪魔が私の目の前に現れて、「ピアフと同じ人生を体験するなら、ピアフの声を手に入れられるけど?」と言われたら、私は即座に断ることでしょう。なぜなら、ピアフの人生は、あまりにも波瀾万丈過ぎて、とても辛いからです。素晴らしい声の代償だったようなピアフの人生の辛い出来事を、年代順にざっくり挙げてみます。・幼い頃から母親が育児放棄。・売春宿で育つ孤独な少女時代。・角膜炎で失明の危機に陥る。・大道芸人の父と路上で歌う貧困生活。・娘の日銭を搾取するダメ父親。・少年と恋に落ち16才で出産。・18才で、2才の子どもを亡くす。・子どもの死後、少年とも破局。・18才からアルコール中毒になり、酒に溺れる日々。・歌っていた店の経営者が殺され、殺人の容疑者として逮捕される。釈放されるも、歌う場所を失くしてしまう。・沢山の男性との恋愛と別れを繰り返す。(これは良いこと?)・ボクサーのマルセルと大恋愛するが、彼の乗った飛行機が墜落して死別。・占いなどに頼り、周りから大金を騙し取られる。稼いでいるのに借金まみれ。・4度も交通事故を起こし、大怪我を負う。手術を繰り返し、身体は文字通り傷だらけ。・身体の痛み止めとして使用したのがきっかけで、薬物中毒になる。稼いだ大金も麻薬を買うのに消える生活。・晩年、病床で結婚するが、すぐ亡くなる。飲酒、交通事故の怪我、薬物中毒、病気などで、ピアフの身体はボロボロで、40代でも老婆のように見えたそうです。
その一方、ピアフは、転んでもただでは起きないような強さと色々な才能がありました。マルセルとの恋を歌詞にして歌った『愛の讃歌』は、大ヒットします。ロマンチックな曲『バラ色の人生』もピアフが作詞しています。ピアフは、歌うだけでなく作詞の才能もあるのです。また、ツアー先で聴いた現地の曲をアレンジした『群衆』は、ピアフの代表曲になり、今でもシャンソンの定番曲です。ペルーの原曲も良い曲ですが、雰囲気が全く違っています。なぜか、ピアフが歌うとピアフの曲になってしまうのです。その他にも、ピアフは、彼女の元を訪れる様々な音楽家の卵から才能を見出だしました。歌を指導して自分のコンサートに出演させたり、作曲の才能を知ると、自分の曲にすぐ使いました。このことから、ピアフが『人の才能を見抜く力、歌の指導力、プロデュース力にも長けている』ことが分かります。ピアフは、ため息が出るほど多くの才能を持っている歌手でした。
ピアフの映像を見ると、健康を害しているせいか、ピアフは猫背気味で、歩き方もヨタヨタしています。それなのに、一旦歌い始めると周りの空気が一変し、歌い終わると会場から割れんばかりの拍手が起こります。特筆すべきは、彼女のステージ衣装が非常にシンプルなことです。トレードマークの黒のワンピースは、長袖で膝下丈です。肌の露出も少なく、歌手の衣装としては地味です。そのワンピースには、スパンコールや羽毛、リボンやフリルも無く、まるで喪服のようにも見えます。クロス(十字架)のペンダントを身に着けるのも、神に祈るような気持ちで歌う姿勢を表しているようです。でも、衣装が黒でシンプルだと、観客の視線は、自ずとピアフの顔の表情と手の動きだけに集中します。これは、聴衆を歌の世界だけに誘導し聴覚に集中させる方法として効果的で、演出方法としても一理あります。もちろん、この演出は、圧倒的な歌唱力と表現力のあるピアフだから出来ることですが。※実際、きらびやかな衣装や凝った舞台セットなどには、歌手を実力以上に見せる『目眩まし効果』があります。
ピアフとテオのデュエット『恋は何のために』のレコードジャケット。このワンピースがピアフの定番の衣装。
ピアフは、沢山の男性と恋をして別れを繰り返す、いわゆる恋多き女性でした。決して美人タイプではありませんでしたが、その場にいる人を惹き付けてしまう強いオーラを持っていたそうです。一般的には、ボクサーのマルセルとの恋が有名です。不倫の恋でしたが、死別の苦しみは計り知れません。でも、私は、ピアフの最後の恋が印象に残ります。ピアフは愛されることによって幸せだった、と感じるからです。ピアフは、人生の最後に、20才も年下のハンサムでやさしいギリシャ人のテオ・サラポと出逢い、結婚しました。二人のツーショット写真などを見ると、年の差があるためお婆ちゃんと孫にも見える程ですが、ピアフは幸せそうです。ピアフの大ファンで美容師だったテオは、病床のピアフの元に足繁く通い、歌の指導を受けて歌手になりました。二人のデュエット曲『恋は何のために』は、楽しげな曲です。声質は違うもののテオの歌い方はピアフと似ています。二人は、夫婦愛というより師弟愛、またはソウルメイトのような関係だったのかもしれません。どちらにせよ、テオの目には、ピアフの内面の魂の輝きや美しさが見えていたのでしょう。当初は、「遺産目当ての結婚だろう」とテオを中傷する人もいましたが、実際のピアフは借金だらけでした。テオは、ピアフという女性を純粋に愛していただけなのだと思います。その証拠に、ピアフの死後、テオは、ピアフの作った多額の借金を、一人で6年間かけてコツコツ返済しました。そして、完済したあとすぐに交通事故で亡くなりました。遺言通り、現在もピアフと同じ墓に眠っています。
伝記映画のラストシーンでは、主演のマリオン・コティヤールが『水に流して』という曲を歌っています。「私は自分の人生を決して後悔しない」という内容の歌詞は、まさに彼女の生き方とオーバーラップしています。上のYouTubeの音源はピアフですが、声からすごいエネルギーを感じませんか?ボロボロの身体から、魂を込めて振り絞るように出される声そのものが、エディット・ピアフという作品でした。また、ピアフは『シャルル・アズナブール』『イブ・モンタン』など、有名な作曲家や歌手を世に出しました。そして、『ジャン・コクトー』(小説家)など様々な分野のアーティスト達にインスピレーションを与え続けました。作曲家プーランクは、『エディットピアフを讃えて』という繊細な中に情熱と寂しさを感じさせる曲を作りました。もし、ピアフが生まれ変わって現代を生きたら、エネルギッシュな敏腕のプロデューサーにもなれるでしょう。ピアフは、フランス文化全体に大きな貢献をした『小さな女神』とも言うべき存在だと思います。 【ピアフの言葉より】 「人生をやり直せるとしたら 同じ人生を望むわ。」 ミント音楽教室
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